北海堂本舗

蝦夷リスが出来事を忘れないようにメモします

私にハグを、自分に花丸を

Q.自分の作品を1番好きなのは誰でしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

A.私

と言いたいところですが私は言えません。あなたはどうですか?きっと大多数の方は自信を持って言えるでしょう、私自信だと。だって普通自分の気に食わない物を世にお出ししませんから(少なくとも趣味の範囲では)。私だって言いたいけど言えないんですよ、だって嘘つけないし。じゃあなんで作品作ってるかってそんなのわかりませんよ教えて神様。

 長年のコミュニケーションの中で私は周りを傷つけるリスクを削るために安定策として常に自分sageをしてきました。誰かと何かを比較してしまうのは人間の性ではありますが、他人を引き合いに出して他人を下げることでしか物事を語れない人間になることを恐れ続けた私は常に自分をsage続けました。これは慣れてくると非常に心理的に楽な手段になり頻繁に使いがちになりますが相手に気を使わせるという恐ろしく大きな欠陥を抱えていることに気がついたのはやっと最近のことです。まぁこれは自分をsage続けることのデメリットのうち小さな一つでしかありません、もっと深刻だったのは、自分で自分を肯定できない人間になる事です。私は常に人と比べ続けてしまうのです。しかも必ず自分を下げてから比較します。最初から猫背です。例えば誰かに絵を描いているのを見られて褒められた時、「ありがとう、嬉しいよ」と返すのが普通でありましょう。私は「そんなことない、自分は下手だし相当上手い人がゴロゴロいる」というような返ししかできないのです。傲慢になるのは良くないですがこれはあまりにも控えめすぎます。もはや謙遜ではなく自虐の域に入りつつあるのです。自虐ってすごい楽なんですよ。傷つくのは自分だけですからね。自分を細切れにして顧客に提供しているわけです。私は人生においてこれをやりすぎました。結果残ったのはあまりにも卑屈な私だけです。どんな絵を描いても動画を撮っても、結局心の1番下まで覗くとその作品を肯定している自分は1人もいません。あの人はこんなことできるのに自分にはできない、○年もやってるのにこれはわからない、何が面白いのかわからない。もしかしたらこれを今読んでくれているそこのあなたはこれを読んでショックを受けるかもしれません、じゃあなんでそんな物を俺たちに見せるのかと。でもこれがリアルです、汚い部分です。ごめんね。

 自分のファン第一号が自分になれない人間が出してるものがささるわけないのでもはや私は何がどうなってるのかわからない時があります。みんながくれる声援はとても嬉しいしそれ自体が無駄になることは絶対ないし、普段からかなりあることないこといってますがそれで喜んでる自分は本物です。最近とかめちゃくちゃ感想とか応援とかもらえて結構な頻度で承認欲求みたいなのが満たされて、心のあったかタンクがもりもり充填されるんですけどその下にあるのはあったかタンクの5000倍はあるであろう空虚な器です、本来そこの中身がしっかり溜まって土台としての役割を果たすようになった上で承認欲求を満たすべきなんでしょうが私に至ってはあべこべです。死ぬほど不安定です。だから荒れます、崩れます。みんなの声が届いてないわけじゃないしすごく嬉しいのにそれ以上に情けなさが降りかかるのです。なぜ。

 内心ボロボロでも膝ガクガクでも言葉だけはカッコつけて、見栄張って、自信持ってる方が素晴らしいです絶対に。虚栄でもいいんで。仮に今これを読んでる人で(いないと願いたいが)私みたいな人は手遅れになる前に自分を認めてあげてください。

 創作やってて1番しんどいのは皆様にお出しする直前にくるこれ面白いのか?期、これ良いか??期なんですけど突き詰めると結局そこを一緒に乗り切ってくれるのは自分だけしかいないんですよ。そこで自分が自分を支えなくてどうするんだって話ですよね、片輪走行どころの話ではない。世に出した後もウケなかったなという時にじゃあ誰が励ましてくれるか、結局自分です。自分を信じられるのも応援できるのも最後はやっぱり自分です。俺は良いと思っている、それくらいの心意気がなければ立てません。私は立てないので常にへたり込んで死にかけでものを作ってる時がほとんどです。時々気を病むのはそのせいでしょう。こりゃ危篤だ。

 私は私を認めるのに何年かかるかわかりません、特に自分が嫌いなわけではありませんが自分の行動に、作品に、自分ではなまるをつけてあげられる日がいつくるか本当にわからないのです。他人からのはなまるをいくつ集めても結局自分のはなまる一個にかなわない時もあるのです(これはみんなの声が嬉しくないとかそういう意味ではないです言葉選びが下手くそでごめんなさい、作文は苦手です。察してくれると嬉しいです。本当に皆様の応援には感謝しています。)

 いや、本当にいつになったら自分を抱きしめて、頭撫でてあげられるのかな。いつかその時が来たらここまで生きてきた年数分ありったけのハグとはなまるをどうか私に。

 

 

あまりにも飴と鞭の使い方が下手すぎるなという話でした。

 

やっぱ毒にも薬にもならん(毒にはなるか)

天気の子

お久しぶりです。蝦夷リスです。

新海誠監督の新作「天気の子」を見ました。感想(というか私の中での整理)です。ネタバレもあります。

 

 実のところ私は新海監督ファンではないので彼の作品も「君の名は。」と「秒速5センチメートル」しか見たことがないです。もっと見ておけば印象が変わったのかもしれませんが「天気の子」は期待値を上げすぎていて、肩透かしを食らってしまったように感じます(それでも単作アニメ映画という観点から見れば十分面白くはある作品でしたが)。作画もよく、主人公たちの声もいいです(本田翼さんは・・・)、RADWIMPSさんが送る楽曲の数々も素晴らしかったです。公開前は予報でさんざん流された”グランドエスケープ”が一番いいと思っていましたが今は”大丈夫”のほうが好きですね、歌詞がいい、涙出ちゃう。ファンサービスも豪華、まさか「君の名は。」の面々が見れるとは思いもよりませんでした、瀧くんなんか結構長尺でてきて本筋にかかわりそうな話しますし。ただこれだけいい要素がそろっていただけにストーリーの煮え切らなさが残念で仕方がないです。ネットでは賛否両論って言われていましたが本当にその通りです。別に作風そのものを否定する気はないです。「君の名は。」みたいなのを何回も見せられても食傷気味になってしまいますし。でも、まとめ切れてなさが否めないんです。あとテンポもちょっと悪く感じちゃいました。後半にかけて盛り上がる晩成型かなって思ったけど、すーって流れるように終わってしまったイメージ。

 

 ただの感動する作品では面白みがない、しかしスポンサーやプロデュース側から求められるのは第二の「君の名は。」になりうる作品、大衆受けする娯楽、上がるハードル、監督は大いに悩んだんじゃないかなって思います。あっちをとればこっちが損なわれる。監督が出した結論は驚かされましたが個人的にはいいと感じました。あの後半の展開そのものはすごいと思うし、結末だってそういう選択なのかって納得はできます。でも、あまりにカタルシスがなさすぎる。筋の通った話の上、悩んで悩んで主人公たちが行きついた先があの結末ならいいんですけど、掘り下げが浅すぎてわかるけどなんかなぁ・・・って状態になっちゃったんですよね。時間経過してまた会うオチも「君の名は。」一回やったじゃん!しかもあの時はちゃんと納得できる展開と最後の大きな波のようなものにつながる要素を持った状態での時間経過でしっかり見ている側にカタルシスを与えてくれていたじゃん!今回はどうしちゃったの?ってのが見終わった直後の感想。個人的にはもう少し主人公たちの掘り下げをして理念のようなものを描いてほしかった、やりすぎは説明だけどここまで情報がないとわからなすぎる。主人公帆高が家出した理由、陽菜と母親の別れあたりはも宇少しだけ情報が欲しかった。特に家出は何の説明もなく家出して帰りたくないくらいしかない。キャラのバックグラウンドがわからないから共感することも話に入ることもできない(もしかして共感しようとする姿勢がおこがましいのか?)そんなに新海監督の作品を見てるわけではないけど秒速とかを見た印象ではもっと感情の揺れ動きとかの表現がうまかったように感じたんですけどどうでしょう・・・。また、冒頭に貼られた銃の差し押さえ?や社会的弱者という、メッセージ性というのも感じましたし帆高が銃を撃つシーンは衝撃だったけど要素を持て余している印象、銃はもっとうまく絡められたんじゃないかな・・・って。子供が銃を突きつける、撃つってことの意味の投げかけは非常に素晴らしいと感じましたが、拾って撃ってではなぁ。局所的に大量の雨が滝のように流れるのも、空から降ってきた触ると消える魚みたいなこと現象も、ただ出てきただけで話にはあまり絡んでこないし何だったんだって感じでした。もったいない。なんというか全体的に繊細な話、ってよりはこれはこういうものですって押し付けに感じて共感できなかったです。男女の描写ガーとかではなく風呂敷の広げ方とたたむ手順が多少雑だったなって感じ。話の広げ方、伏線拾い、設定の齟齬の少なさでいえば前作のほうがうまかった

 秒速を見た感じでは感動作品大衆受け!を乱発する人ではなさそうだなって印象で、「天気の子」の終わり方も実際そうではなかったけどあれをやるならもっと、全部をその終わりへと振り切ったものにしてほしかったな、と。最初に行ったように求められるものに答えなきゃいけない大変さもあるとは思いますけど本当にどっちつかずになってしまったのが惜しい。この作品を踏んだうえで次の作品で何をどう描いてくるかは、また期待したいです。

 ネガだけ作品をこけ下ろしたいわけではないのでよかったところも。

 まず、当然ですが絵がきれいですね、今年に入ってから「スパイダーマン:スパイダーバース」「プロメア」「海獣の子供」と何回も映像面では驚かされ続けましたがやはり新海監督も期待は裏切らない。都会、空、すべてが美しい。特に空の描写は息をのむほどで雲の上も楽園のよう。ワンシーンワンシーンどこを切り取っても素晴らしい一枚となるクオリティに感動しました。雨と晴れ間とか見てるだけで鳥肌。花火大会のとことかマジでやばい。絵で窒息死する、あんなものが作れたらなぁ。

 そして音楽もいい、RADWIMPSすげぇ。これについては二番煎じ、飽きた、長いPVかみたいなこと言ってる人いましたけど、私個人としてはこれはこういう手法として文化になっていけばいいなって。ミュージカル的でいいなって思いますよ、突然歌いだされても困るけど。シーンと歌、歌詞のマッチが絶大でこれは新海監督とRADにしかできないんだろうなってくらいの親和性。サントラほしいわ。最初のほうでも言ったけど「大丈夫」がまじでいい。みんな映画見たら、買って、聞くべき。今後もこの手の手法は続けてほしいしインスパイアされたものが出てきてほしいとも思いますね。

 さらにしっかりやってくれるファンサービスと小ネタ、遊び要素。CMは多すぎてちょっと邪魔だけど結構にやっとできますね。まぁ見ればわかるので割愛。

 あとね、ストーリーも好きですよ。セカイ系っていうんですかね?こういうの。さっき言ったように粗は多いし感情移入もそんなにできなかったけど流れとしては大好きな奴。世界と彼女を天秤にかけて彼女をとる。結果世界の形は変わってしまうけどって・・・好き!こういうの大好き!あとね、特にホテルでの陽菜と帆高の会話、晴れてほしいか?って問いに対して帆高がなにげなくうんって答えるシーン。帆高は事情を知らないとはいえ陽菜のことを考えると胸がね、うってなるよね。好き。あと、最近どんどん”少年”だったころの感覚や思い出みたいなのを忘れてしまっていて私は本当にそれが嫌で、怖かったんですけど”少年”について思い出させてくれて少し、うれしかった、ああこうだな。みたいな変な納得をくれた。ありがとう。そいで、予報を何度も映画館で見せられて勝手にストーリーを想像していたんですけど全然ミスリードで、これは映画見るたびに思うんですけど予告作る人ってうまいなって思いましたね。ちゃんと予想を裏切ってくれました。

 

 長々と書いてしまいましたが1度は自分で見たほうがいいなって思います。

ああサントラが欲しい、もう一度見ようかな(もっかい見れば納得できるかもしれないし)

はねバド!15巻感想、見えていたけど見たくなかった結末

ネタバレあるので注意

 

前巻の14巻から始まったインターハイ準決勝、羽咲vs志波姫、続きがずっと読みたかった

私は作中で志波姫唯華という選手が好きだった。

強豪校のキャプテン、頼れるリーダー、明るい性格、そして基本を地でいくプレイスタイル、全てが魅力的だった。

彼女は非常に頭が良い、常に相手を分析して1番嫌がりそうなことをするどちらかというと受け身型の選手だそんな彼女が自分からジャンピングスマッシュを打ったのだ、このシーンでまず一回泣ける、仲間のために貫いてきた姿を仲間に叱咤激励されて、仲間とそして自分のために変えたのだ。そしてこのスマッシュに至るきっかけも非常に、本当に良い。こういうのに弱いんだ私は。何を言ってるかわからない人ははねバドよんでくれ

私は試合に引き込まれ必死にページをめくり続けた。物語の進行上、志波姫が負けることは明白だった。読む前からわかっていたし、本当にそのページに辿り着きたくなかった。しかしながらそこで読むことをやめて志波姫と羽咲の試合を永遠のものにするのはもっとできないことだった。

第70話、デュースの状況、羽咲が放った隠し球、志波姫はそれまでこそ翻弄されていたもののついに読み切った。迫る打球を志波姫は、返した。鳥肌が立った。

そして

美しかった。

濱田先生は一瞬を切り取るのが上手いと心底思った。見たくなかった志波姫の高校選手としての結末を見た私の心は悔しくも、なぜか少し、晴れやかだった。作中でこの先が語られることはなさそうであるが(インターハイ後の話はやるのか?)きっと彼女はこれまで通りやっていくのだろう。

志波姫唯華という選手に称賛を贈りたい。

 

読み終えた私の手はまだ熱かった。

はねバド!、読んでください

 

発信力と承認欲求の話

自分みたいな奴がこんなこと言うのもあれですがTwitterで人に見てもらえるようになるのって運要素によるところが大きいと思うんですよ。で、ちょっとでもその確率を引き上げるのが発信力、≒フォロワー数。

今まで何度も意図的に相互アカウントなどをフォローする事で自分の絵に対する評価あげようと考えたことあるんですけど(ひじょうにあさましい)すぐやめちゃって結局こんなまま月日が流れてしまってやっぱりまたおんなじ事を考えてしまう時期になってしまってるんですよね。

実力が伴ってないのは頭で理解しててもやっぱり絵の壁打ち状態は心が受け付けない(ごうよくなので)。

やっぱりTwitterでは相互増やしてつながりを作る事で発信力を磨かないとチャンスそのものも回ってこないんですかね?まぁ増やしてどうなるかもわかりませんがやっぱりそうやって絵の伸びを増やしてる人見るとたまに濁ってしまうので悩むんですよ。

プライドが高いので相互増やし目的でフォロー飛ばすのは嫌だけどやっぱりいいねリツイートは欲しい、このジレンマの解決が難しい。いやわかってるんですよ絵は年単位でみてく趣味だってのは。でもやっぱり精神衛生とプライドみたいなのの折衷案がなくてたびたび悩む、ここが一番心を無駄にすり減らすのしょうもないから無くしたいんですよ

まぁ多分人間、欲には底がないから安定100いいね乗ったら乗ったで100いいねかよとか思ってしまうんでしょうけど。

支離滅裂ですけど要するに相互目的でフォローフォロワー増やすのは有効なのかって事(絵の評価や仕事の面で)

エゴサで自分のツイート羅列されるのはやっぱり寂しいもので…

どうなんでしょう、ご意見お待ちしてます

 

 

Ps

関係ないけどいつもTwitterで仲良くしてくれる人には感謝しています。中学生くらいからずっとTwitterの作家さんとかが仲良くしてるあのコミュニティみたいなのに憧れていたので…