なんで知ってる人に作品見せられないんですか?

 身内に自分の作品を見せるのが苦手だ。

 

 この話、だいたいいつも意見が二分化されて「とにかく作品を見てもらいたいし、身内にも全部知ってもらいたい派」と「なんとなく嫌」派になると思うんですけど、私は圧倒的な後者で、もう何年も前から、ネットには流すけど、現実で最初につながりを持った友人や親類に見られたくないって思っちゃうんですよね。「見せたい派」の意見もたぶんめちゃくちゃわかるし、できることなら私だって胸張って見せられるようになりたいです。でも無理なんだ。

 

 この前親に「それは全力で制作してないからじゃないのか?お前神様降りてきたこともないだろ」みたいなこと言われて、それかもしれん。って思ってたけど、家帰って、風呂入って、寝っ転がったころにふわふわとした答えが返ってきて。

 

 それはたぶん「見られたい自分」の存在と「自己肯定の低さ」が諸悪の根源なんですよね。だって、自分の作品が友達に見られたら内心で「へーこいつこんなんかくんだ」って視線が今後のやりとりに少なからず含まれてしまうじゃないですか(自意識過剰ではあるが)。たとえそれが褒めだろうと肯定だろうと、私という人間はやりとりの上でそれを純粋に受け取れないくそ人間なのでなんか嫌なんですよ。仮にもこいつよくこんなもんを人様に見せてるな、とか思われたらいやだし(そんなこと言う人は少なくとも私の周りにはいないと頭では理解していますが)。「〇〇な創作をする私」ってのは、今までの「私」ってイメージと離れたら怖いな見たいな気持ちもありますし、そういう見せたい姿との乖離はこちらでコントロールできる部分とできない部分があって、じゃあどこまで実現できてるかは置いといて、「(どんなのかはよく知らんが)創作をしている私」ってのがスタンスとか温度感がちょうどいいんじゃないのかなっていまは無理やり思うことにしています。反面ネットの人は「こういうものを作る私」を最初に知って近づいてくるから別に抵抗は1mmもない。この差ってやっぱちゃんと自分の作品に満足できて、好きでいられてるかって部分が大きいんじゃないかなって。ちゃんと全部を含めた私でいられたらいいなぁと思いながら今日も私は陰でこそこそ創作をやっていくわけであります。

 

 みんなはどう?

 ここ最近マイナス気味に傾いてた天秤が一気に傾いてめちゃくちゃになってしまったのでここらで気持ちの整理をしていきたいとおもいます。

 

 そもそも部屋の片づけが苦手で自分の気持ちを片付けるのも苦手なのでたぶん散らかして満足するだけですが。

 

 数字を気にしないよう意識し始めてからだいぶ快適に創作をしていたんですが、それでもやっぱり多少はあるわけで、積もり積もっていま溺死しそうになっています。完全に力不足だし、まじめさも、使った時間も足りていないから自分が悪いんですけど、それでもやりきれなさとか焦燥感とか、隣の芝は青いってわかってても人と比べて苦しくなったり。そもそも自分と比較するのがおかしい人と何故か比較して苦しくなったり。調子が空回りして歪んで外れて。締め切り前だからなんとか原稿に向かうけど一向に進まないし、絵がうまくかけなくてやっぱりそれでまたへこむし。昔あこがれてた人たちの背中追っかけるのを夢見て、環境整えて追いかけ始めたけどやっぱり遠くて、つらくなる。何故かこんな私でも優しくしてくれる人たちができて、嬉しいなって思いながらもやっぱり自分に自信がないので申し訳なさというか情けなさというか、みんな私よりすごいし。割り切りが大事なんだけどどうしても自分のことだけが割り切れなくて。悩んでもしょうがないのに堂々巡りして、結局無為に時間を過ごしてしまう。人間出来てない。

 中途半端に飛び込んで、中途半端にもがき始めちゃったせいで、純粋にコンテンツを楽しめなくなってきている。マンガ読んでも絵を見ても、動画を見ても。すごいなって思う反面どうして私にはできないんだろって気持ちがどっかで顔をのぞかせているから複雑な、入り混じった気持ちでコンテンツを消費している。こんなことなら最初からやらなければよかったのにと思う自分もいる(もともと何もないのにもっと何もなくなるけど)。たぶんみんな強いから表に出さないだけで大変なこともあるだろうけどそれでもんみんな楽しそうでうらやましいなとおもっちゃう。うらやましいと思うなら手を動かすべきなのはわかっていますが、どうしてもギアが重たい。油をさしてほしい。みんないいな、すごいなって。自分から遠い人が輝いてるのはまだダメージ少ないけど、ちょっと近しい人がいざすごいものを出してくると悔しくて、つらくて。喜びたいのに、笑顔の裏で黒いものを抱えていてそんな自分が申し訳ない。なんでだろ。完全な諸費者でいるべきだったんでしょうか。私は。

書くだけ書き散らして、やっと少し落ち着いてきたので、また濁流に戻ろうと思います。

 

お友達の新しい門出に幸あれ。応援しています。

 

 

映画が趣味だといえません

 そこそこ映画を見てるような気がします。多くて月に10本とか。この時点で多くねぇだろって言われるんですけどね。映画見ることは好きだけど、別に映画好きとか趣味は映画鑑賞とかいえないんですよ。ホンモノの人たちに失礼なので。

 私は映画史を知らないし、「見ておくべき映画」な映画もたぶん全然見てない。たぶん黒澤明監督の映画見たことないのに映画好きですとか言ったら刺されちゃう気がする。なので映画好きとは言えない。

 ○○監督の作品はこうこうこうで...とかこの作品は××って作品の影響を受けててみたいな話も全然できない。というか最近だと見た映画の内容とか感想を端から忘れてく、たぶんかみ砕けてないんだろう、怖い。若干インプットのためと見てる節もあったけどぜんぜんインプットできてないし。だから映画好きとは言えない。

 大衆向けばっか見る。だから映画好きとは言えない。

 邦画はほとんどみない。だから映画好きとは言えない。

 映画の本も買わない。だから映画好きとは言えない。

 

 

 でも映画は好き。

私にハグを、自分に花丸を

Q.自分の作品を1番好きなのは誰でしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

A.私

と言いたいところですが私は言えません。あなたはどうですか?きっと大多数の方は自信を持って言えるでしょう、私自信だと。だって普通自分の気に食わない物を世にお出ししませんから(少なくとも趣味の範囲では)。私だって言いたいけど言えないんですよ、だって嘘つけないし。じゃあなんで作品作ってるかってそんなのわかりませんよ教えて神様。

 長年のコミュニケーションの中で私は周りを傷つけるリスクを削るために安定策として常に自分sageをしてきました。誰かと何かを比較してしまうのは人間の性ではありますが、他人を引き合いに出して他人を下げることでしか物事を語れない人間になることを恐れ続けた私は常に自分をsage続けました。これは慣れてくると非常に心理的に楽な手段になり頻繁に使いがちになりますが相手に気を使わせるという恐ろしく大きな欠陥を抱えていることに気がついたのはやっと最近のことです。まぁこれは自分をsage続けることのデメリットのうち小さな一つでしかありません、もっと深刻だったのは、自分で自分を肯定できない人間になる事です。私は常に人と比べ続けてしまうのです。しかも必ず自分を下げてから比較します。最初から猫背です。例えば誰かに絵を描いているのを見られて褒められた時、「ありがとう、嬉しいよ」と返すのが普通でありましょう。私は「そんなことない、自分は下手だし相当上手い人がゴロゴロいる」というような返ししかできないのです。傲慢になるのは良くないですがこれはあまりにも控えめすぎます。もはや謙遜ではなく自虐の域に入りつつあるのです。自虐ってすごい楽なんですよ。傷つくのは自分だけですからね。自分を細切れにして顧客に提供しているわけです。私は人生においてこれをやりすぎました。結果残ったのはあまりにも卑屈な私だけです。どんな絵を描いても動画を撮っても、結局心の1番下まで覗くとその作品を肯定している自分は1人もいません。あの人はこんなことできるのに自分にはできない、○年もやってるのにこれはわからない、何が面白いのかわからない。もしかしたらこれを今読んでくれているそこのあなたはこれを読んでショックを受けるかもしれません、じゃあなんでそんな物を俺たちに見せるのかと。でもこれがリアルです、汚い部分です。ごめんね。

 自分のファン第一号が自分になれない人間が出してるものがささるわけないのでもはや私は何がどうなってるのかわからない時があります。みんながくれる声援はとても嬉しいしそれ自体が無駄になることは絶対ないし、普段からかなりあることないこといってますがそれで喜んでる自分は本物です。最近とかめちゃくちゃ感想とか応援とかもらえて結構な頻度で承認欲求みたいなのが満たされて、心のあったかタンクがもりもり充填されるんですけどその下にあるのはあったかタンクの5000倍はあるであろう空虚な器です、本来そこの中身がしっかり溜まって土台としての役割を果たすようになった上で承認欲求を満たすべきなんでしょうが私に至ってはあべこべです。死ぬほど不安定です。だから荒れます、崩れます。みんなの声が届いてないわけじゃないしすごく嬉しいのにそれ以上に情けなさが降りかかるのです。なぜ。

 内心ボロボロでも膝ガクガクでも言葉だけはカッコつけて、見栄張って、自信持ってる方が素晴らしいです絶対に。虚栄でもいいんで。仮に今これを読んでる人で(いないと願いたいが)私みたいな人は手遅れになる前に自分を認めてあげてください。

 創作やってて1番しんどいのは皆様にお出しする直前にくるこれ面白いのか?期、これ良いか??期なんですけど突き詰めると結局そこを一緒に乗り切ってくれるのは自分だけしかいないんですよ。そこで自分が自分を支えなくてどうするんだって話ですよね、片輪走行どころの話ではない。世に出した後もウケなかったなという時にじゃあ誰が励ましてくれるか、結局自分です。自分を信じられるのも応援できるのも最後はやっぱり自分です。俺は良いと思っている、それくらいの心意気がなければ立てません。私は立てないので常にへたり込んで死にかけでものを作ってる時がほとんどです。時々気を病むのはそのせいでしょう。こりゃ危篤だ。

 私は私を認めるのに何年かかるかわかりません、特に自分が嫌いなわけではありませんが自分の行動に、作品に、自分ではなまるをつけてあげられる日がいつくるか本当にわからないのです。他人からのはなまるをいくつ集めても結局自分のはなまる一個にかなわない時もあるのです(これはみんなの声が嬉しくないとかそういう意味ではないです言葉選びが下手くそでごめんなさい、作文は苦手です。察してくれると嬉しいです。本当に皆様の応援には感謝しています。)

 いや、本当にいつになったら自分を抱きしめて、頭撫でてあげられるのかな。いつかその時が来たらここまで生きてきた年数分ありったけのハグとはなまるをどうか私に。

 

 

あまりにも飴と鞭の使い方が下手すぎるなという話でした。

 

やっぱ毒にも薬にもならん(毒にはなるか)

発信力と承認欲求の話

自分みたいな奴がこんなこと言うのもあれですがTwitterで人に見てもらえるようになるのって運要素によるところが大きいと思うんですよ。で、ちょっとでもその確率を引き上げるのが発信力、≒フォロワー数。

今まで何度も意図的に相互アカウントなどをフォローする事で自分の絵に対する評価あげようと考えたことあるんですけど(ひじょうにあさましい)すぐやめちゃって結局こんなまま月日が流れてしまってやっぱりまたおんなじ事を考えてしまう時期になってしまってるんですよね。

実力が伴ってないのは頭で理解しててもやっぱり絵の壁打ち状態は心が受け付けない(ごうよくなので)。

やっぱりTwitterでは相互増やしてつながりを作る事で発信力を磨かないとチャンスそのものも回ってこないんですかね?まぁ増やしてどうなるかもわかりませんがやっぱりそうやって絵の伸びを増やしてる人見るとたまに濁ってしまうので悩むんですよ。

プライドが高いので相互増やし目的でフォロー飛ばすのは嫌だけどやっぱりいいねリツイートは欲しい、このジレンマの解決が難しい。いやわかってるんですよ絵は年単位でみてく趣味だってのは。でもやっぱり精神衛生とプライドみたいなのの折衷案がなくてたびたび悩む、ここが一番心を無駄にすり減らすのしょうもないから無くしたいんですよ

まぁ多分人間、欲には底がないから安定100いいね乗ったら乗ったで100いいねかよとか思ってしまうんでしょうけど。

支離滅裂ですけど要するに相互目的でフォローフォロワー増やすのは有効なのかって事(絵の評価や仕事の面で)

エゴサで自分のツイート羅列されるのはやっぱり寂しいもので…

どうなんでしょう、ご意見お待ちしてます

 

 

Ps

関係ないけどいつもTwitterで仲良くしてくれる人には感謝しています。中学生くらいからずっとTwitterの作家さんとかが仲良くしてるあのコミュニティみたいなのに憧れていたので…

バニラ・スカイ

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あらすじかくと面白くないので書きませんが、結構いい映画でした。

トム・クルーズはイケメンだし、分析医のおじさんの安心感も半端ない、

 前半はほーん??ってなりながら見てたけど後半になって、最後、すべてが明かされる瞬間の空、クリーム色の、モネが描いた絵の、そして作品タイトルの、バニラ・スカイ

 スタッフロールを見ながら自分も思う、ほんとに自分は現実に生きてるのかなって。

誰も答えは知らないし、答えてもくれない。ただ生きてると信じて行動してるだけ。

結局その時になるまで答えはわからないんだろう。

 自分の願望と決別して生身の、ひどく冷たくむなしい現実を生きる選択は自分にできるだろうか。

寝たらすぐに忘れちゃうんだろうけど、こういう感情大事にしていきたい。

 マットリックスは仮想世界を生き、バニラ・スカイは夢を生きた。じゃあ自分は?

VR・AR、そしてMR(複合現実)が当たり前になっているであろうずっとずっと先の未来では、現実か空想かイマを生きてるのか違うのか、見分けもつかないんだろうけど、たぶんどうでもよくなってる、自分がいいと思うものが現実でそこに全力かけるだけだろうから。

 時間空けてからもっかい見たい映画です。

 

 最後のCGもっと頑張れやって思ったので若干そこだけマイナス。